エンジニアとして全力で楽しむために

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3社目 四国出身のチャレンジャー

2001年の11月、僕は東京に戻ってきた。
そして大森にある新築のレオパレスに住むことになった。
隣人の携帯のバイブ音が聞こえる薄い壁。渋谷までは1時間以上通勤にかかる距離。
・・・うん、まぁ、今の僕にはこんなところだ。

今度の会社はモバイルを中心としたゲーム開発会社で、基本的には受託開発がメイン。
親会社はコンシューマゲームの開発会社ということもあり、開発しているものは大手ゲーム会社のものが多かった。技術的にはPerlとMySQLがメインで僕はまたPerlと付き合うようになる。

入社当初は既存案件の運用開発を任されていたがそこでの成果がすぐに認められ、あるビックタイトルに開発に関わることになった。
東京に来て四国で培った技術力が通用するか?と不安ではあったが、十分通用したという実感を得た瞬間だった。

その開発ではコンシューマ機と連携したようなかなり難易度の高い部分も任されたり、一部では仕様がない部分もありCでかかれた検証用ソースを読みながらPerlに移植していくということもやったりした。僕にとって初めてのゲーム開発は苦戦することも多く、休日も出勤しなんとかスケジュール通りの開発が進んでいた。

そんなとき事件が起きる。
ある大きな機能の仕様をつくっていた企画者が会社に来なくなったのだ。
ゲーム会社はこういうことがたまにあるとは聞いていたが、まさかという気持ちだった。
仕方がないので残された手元にある中途半端な仕様書を補完しながらなんとか開発を終え、なんとか無事リリースすることができた。このとき僕は自分の役割じゃないものを抱えた状況でも、力技でなんとかするということを身につけ始めていた。

また運用に入るとさまざまなトラブルも経験した。
パラメータを不正にいじってくるユーザに対しての対応なども多く、その対策やデータを戻したりなどのユーザ対応など泥くさいこともかなりやった。その中で学んだのはいち早くそれに気づくために、ログをみたり、ユーザの問い合わせを全てチェックするということだった。
知らず知らずのうちに、火の粉が小さいうちに気づいて速めに対策を講じることを覚えていた。

その後はいろいろな案件を担当させてもらい成長を重ね23歳となったころ、僕は主任として働いていた。

そのころ僕は、オンラインゲームのFinalFantasy11にハマっていた。
FF11をやる時間を増やすために、いかに仕事を早く終わらせて帰るかということを思考していた(笑。

そのため、当時抱えていた複数案件の開発と運用をどう効率化するかを考えた。
そして僕がしたことは、新規開発や改修が必要な所以外はエンジニアが絡まないように設計して開発してしまうということ。

つまりデータの追加や更新、チェックなどは企画サイドで終わるように設計しなおし管理画面をつくったり、FTPを使った更新マニュアルをつくったりした。また新規でつくるものはクラス化、パッケージ化を心がけた。そして僕以外のエンジニアでもコードやファイルをみただけでわかりやすい設計や命名規則にして、引き継ぎもスムーズに行えるようにした。

他にも「モバイルの公式サイトを2週間で3サイトをつくってくれ」という無茶振りがきたときは、「自宅で開発するので2週間自宅開発させてください」と会社に交渉をし、移動時間を削り集中開発できる環境を作り、やり遂げたりもした。

そんな感じで、いかに目的を達成するかを考えることと楽しむことを追求していった時期だった。

その結果、僕の生活は9時に出社し18時に帰れるようになり、家に帰ると夜中までFF11をするというオンラインゲーム廃人となっていった。まさに仕事にも全力、遊びにも全力というわけだ。

またFF11をやっていると、メンバー同士の連絡をゲーム外でもしたいということになり、仲間内のSNSを開発したりなどもして、思わぬところで技術力をあげるきっかけもできた。自分の時間でもプログラミングをする生活となり、エンジニアとしてはプラスに働いていた。
自分のペースで働き、プライベートも全力で楽しめるように時間コントロールができるようになっていた。

、、、がしかし、この生活には罠があった。

それは残業代がゼロになった、ということ。
親会社の影響もあり年功序列制の強い会社だったため、基本的にある程度残業代がでて給与が適正になるという設計になっていた。
だから残業のない僕の給与はびっくりするぐらい安い。僕が開発して稼いでいた売り上げからしてみるとどう考えても割りに合わないのである。

効率化したことで給与が下がる。僕は矛盾を抱えてしまう。

評価面談の際会社の上層部とも話し合ったが、このことについてあまり理解は得られなかった。
これには当時の会社自体がコンシューマゲーム開発をメインにおいており、ITエンジニアに関しての理解が足りなかったからということもあるかとは思う。当時の僕はこれに危機感を抱き、ゲーム会社はIT会社に食われるんじゃないかと思っていた。
だからIT会社を買収したほうがいいと声をあげていたが、それに耳を傾けてくれる人はいなかった。
でもこれは当然で、ビジネスを理解してない当時の僕が論理薄く感覚のままにいっていたのことを真に受ける人がいるわけがない。

そして僕はいろいろな危機感を覚え、自社でビジネスをしているIT会社にいこうと決めた。

そこからはいろんなIT会社を受けた。
その中でYahooにいこうかと内心決めていたのだが、結果としてシーエー・モバイルに入社することになる。

理由としては、3次までうけた面接すべて、面接をうけ終わって自宅に帰宅している途中に合格報告がきてそのスピード感に感動したこと。
そして最終で面接していただいた役員の方が僕の話を楽しんできいてくれ、面接の最後に「会社みていってよ!」と案内してくれたことに心惹かれた。
ちなみにこの役員の方は、入社後僕にとってかけがえのない成長をさせてくれる方となる。

そうやって僕は3年勤めたゲーム会社を辞め、シーエー・モバイルに入社した。

ゲーム会社での技術的な成長

ダンジョンの自動生成プログラムを書いたり、復活の呪文を入力しコンティニューするといった暗号化・複合化のプログラムを書いたり、アルゴリズムを学ぶような開発ができたことは経験として大きかったと思います。周りにいた方もコンシューマ出身の方は技術レベルも高く、メモリとビットに拘るコードにはとても勉強になりました。
また若くやんちゃな僕に、多くの大事な案件を任せてくれて、新規開発も運用開発も効率化しなければならない状態であったことは一皮向ける成長につながったと思います。

“プライベートも全力で楽しみたい”

こういう想いが開発力を高めることにつながり、Perlの知識を深め新しいことにチャレンジしていくことになりました。さすがにフレームワークを開発するまでのレベルではなかったですが、独自のライブラリや開発ルールなどを作り出し自分の中のテンプレートとしていました。CPANを使いこなせていなかったので全くDryじゃないわけですが、当時としてはこの経験は大きかったと感じています。

正しいとおもったらまずはやって、あとで考えてもいいときもある。
迷ってるならまず行動しろ。迷ってて手を止めて成長を止めるのは悪。

我が強くそんな哲学をもった人間だったので、この会社では異色な人間だっと思います。
そういえば当時は飲み会もほとんどいかなかったし、普段のコミュニケーション能力は皆無でした(笑

そんな僕がビジネスやコミュニケーションを少しづつ意識するようになるのは次のシーエー・モバイルでの経験があったからこそなのです。

– To Be Countinued -